全身脱毛症で経験してきたこと

人生経験

全身脱毛症と共に暮らしている。
子供の頃から大人になるまでずっと。
病気のこと、治療のこと、経験してきたことを語ります。

誕生

1984年にこの世に生まれる。
体重は3400グラムの健康児。
長男で初孫。
父はサラリーマン。母は専業主婦。
ごくごく一般的な家庭で、普通に暮らす。
社宅住まい。
髪の毛は普通だった。
元気者。
自分言うのもなんだが、かわいい子供だった。

幼稚園

近所の幼稚園に入学する。
社宅に住む友達と一緒に通園。
隣の人と手を繋いで通園するのだが、女の子のときは緊張した。
幼稚園の同じ学年の中では、身長が一番高かった。
活発な男の子で、毎日毎日泥だらけになりながら遊んだ。
幼稚園から帰っても、外で遊んでばかりいた。
テレビゲームはしない子供。
やんちゃ坊主。

小学校1年生

地元の公立小学校に入学する。
社宅の友人は皆同じ小学校に通った。
小学校に入ったら、身長はクラスで中くらいになった。
世界の広さを実感した最初の体験。
小学校では、比較的楽しくやった。
男の子のI君、女の子のGさん、Oさんと遊んだことがよい思い出。

小学校1年生夏

夏、髪の毛が抜け始めた。
最初に気づいたのは、母だった。
お風呂場の排水溝に大量の髪の毛があったこと。
母は、驚き心配していた。
その後、髪の毛が抜ける現象は、日常生活すべてに及んだ。
朝起きると、枕もとに髪がたくさん抜け落ちていた。
食事をしていると、ごはんの上に髪の毛が落ちた。
学校で授業を受けていると、教科書やノートの上に髪の毛が落ちた。
それを繰り返す毎日。
ついには、髪の毛がほとんどなくなった。
僕は帽子をかぶるようになった。
小学校1年生の夏。
原因は分からない。

小学校3年生

小学校3年生のときに、引越しをした。
理由は、祖父母が高齢になったので、一緒に住むことにしたこと。
ほかにも理由はあっただろうが、僕はそれを知らない。
新しい小学校では、楽しい日々を過ごした。
友人がたくさんできた。
たくさん遊んだ。
外出するときはいつも、帽子をかぶっていた。

小学校高学年

同じ小学校で高学年になる。
友人とスポーツやゲームをして、変わらずに楽しい日々を過ごす。
帽子をかぶって生活する以外、とくに不都合はなかった。
しかし、不安は常にあった。
修学旅行などの泊まりのとき悩んだ。
合唱コンクールのときも悩んだ。
そして、思春期の始まり。

中学校

地元の公立中学校に入学した。
中学校に入学するまでは、恐怖でいっぱいだった。
違う小学校に通っている同じ年の人たちと、一緒になる。
中学に入ると、先輩という人たちがいる。
新しい人たちとの出会い。
それが怖かった。
意外にもその不安はほどなく消えた。
世の中、思っていたよりも良い人が多かった。
中学校でも、仲間を作り、普通の暮らしを送ることができた。
勉強と部活動に打ち込んだ。

この時期、身体が大人に変わろうと変化が始まる。
自分が全身脱毛症なのだと自覚をした。
頭髪はない。
眉毛もほとんどない。
まつげもない。
全身に毛がない。
現実を直視させられた。

高校

地元の公立高校に入学した。
この高校は、地区では学力トップの進学校。
中学3年生から勉強を頑張り、なんとか入学することができた。
感無量。
家族、そして、祖父が泣いて喜んだ。

高校には、いい人しかいなかった。
社会的常識があり、思いやりがある人ばかり。
自分に関係ないことには触れない。
頭の良い人達は、そういう性格の持ち主の人が多いからだらろう。
それは、本当に自分にとって良いことだった。
普通に暮らす、ということができた。
高校でも、これまで同様、仲間と仲良く過ごすことができた。
勉強はほどほどに、部活に打ち込み、そして、遊んだ。

全身脱毛症は、回復しない。
何も変わらない。
高校3年間というのは、思春期がピークを迎える時期でもある。
格好よくなりたい、と思う。
彼女がほしい、と思う。
その気持ちが辛かった。
すごく悩んだ。
一生分くらい悩んだかもしれない。
しかし、悩んでも何も変わることはなかった。
他人の行動も、社会も、何も変わらない。
変わったのは自分の心だけだった。
自分の心だけが、悪い方向に進んでいた。

高校3年生にもなると、心が疲れた。
大学受験のシーズンと重なったからかもしれない。
勉強というストレスから、全身脱毛症である自分に対して、八つ当たりした。
思考回路が悪くなると、なかなか抜けることができない。
悪いスパイラル。
幸運にも心は折れなかった。
友達がいたし、みんな勉強していた。
受験をする、というレールがあった。
逆に言えば、勉強だけしていればよい。
幸いだったかもしれない。

だが、大学に行くことに対して、本気になれなかった。

浪人

浪人した。
勉強はほどほどにやっていたけれど、本気で大学に合格しようとしなかった。
受験したのも、国立大学の1校のみ。
滑り止めで私立大学を受験する、ということさえしなかった。

浪人することを選んだ、というのが本当のところだ。
理由は2つあった。
1つは、行きたい国立大学に合格しなかったから。
もう1つは、社会勉強をしたいと思ったから。
自分の世界観にはない、多くのものも知りたかったから。

浪人時代、塾に通わなかった。
いわゆる、自宅浪人。
宅浪。
家で何をしていたか。
勉強は半分ほどした。
1日4時間くらいだろうか。
浪人生の勉強時間としては、非常に少ない。
残りの時間は、世界観を広げること使った。

世界観とは、どういうことか。
たいしたことではない。
NHKのドキュメンタリーを見たり、図書館に通ったり、雑誌を読んだり。
何を見ていたかというと、実は、自分と同じように苦しんでいる人の情報を集めていた。
知的障害者。
腕がない人。
貧困で苦しむ国。
過酷な労働を強いられている途上国の人。
僕は、苦しんでいる人の情報をとにかく調べた。
それが、何に繋がるかなんて、考えなかった。
ただ、いろいろ知りたい思ったときに、そういったジャンルを自然と選んでいた。
心の奥底に潜む感情として、なんで自分がこんな目にあわなければならないのか、という思いがあった。
だから、完全な普通を手に入れることができない人達と、想いを共有したかったんだと思う。

そんな日々が3ヶ月くらいたっただろうか。
僕の、感情は変わり始めていた。
自分だけが苦しいのではない。
もっと苦しい状況にある人は、たくさんいる。
僕も苦しいけれど、健康ではないか。
それはいいことではないか。
悪い感情だけだった自分が、少しずつではあるが、変わり始めていた。
そして、ある日、決めることができた。
この社会の中で、この自分で、生きていくことを。
大きな変化だった。

大学からは、帽子をかぶらないで生活しよう。
これを決意することができたのが、この時期だった。

大学

受験に合格し、大学に入学した。
地方の国立大学にした。
理由は、僕のことを知っている人が誰もいないから。
家族が近くに居ないから。
すべてをゼロから始められる。
それが自分にとって最も適していると思った。

大学では、帽子をかぶらずに生活した。
一番緊張したのは、初日の入学式。
実は、式の直前まで、バンダナ風のものをつけようか迷っていた。
なんだかんだで、心は弱い。
しかし、心に勢いをつけて、はずした。
人生の中で衝撃的な瞬間だった。
そして、事なきを得た。
世界は何も変わらなかった。
自分の心だけが、変わった。

その次の日、同じ学科に入学した人と顔をあわせた。
100人程度いる。
全員が出席番号順に、自己紹介をした。
僕も当然のことながら、自己紹介をした。
ごく普通だった。
なんてことはない、ただの自己紹介だった。
そのミーティングの時間が終わったとき、
一人の男性が声をかけてきた。
よろしく、と。
同じ部活に入ろう思っている、と。
この人が、大学での最初の友人となった。
帽子をかぶった自分ではなく、帽子をかぶっていない自分にできた、
初めての友達だった。

大学時代は、勉強と部活とサークルを頑張った。
どれも、そこそこの成績を残した。
そして、そのまま同じ大学の大学院へ。
毎日、朝から晩まで研究に没頭した。
充実した日々を過ごした。
大学院2年生になったとき、
会社から内定をもらうことができた。

大学生活は、僕の新しい人生。
とてもよい経験ができた。

全身脱毛症の症状は、全く変わることがなかった。
ただ、このときには、新しい感情が生まれていた。
現状と変わらずにこのままであってほしい。
毛が普通の人と同じように生えてきてくれたら、それは最高。
でも、もしかすると中途半端に生えてくるかもしれない。
そしたら、また大きく悩むことだろう。
だから、このまま何も変わらないでください。
僕は、そう思うように変わっていった。
全身脱毛症である自分が、自然体として感じれるようになった。
その証拠なのだろう。

社会人

大学院を卒業し、民間企業に就職した。
就職活動しているときは、全身脱毛症では、人前に出る仕事はうまくいかないかもしれない、という不安があった。
でも、そんなこと気にする必要はなかった。
世の中、顔がよくなければ勤まらない仕事なんて、微々たるものだ。
営業の仕事だって、髪の毛がなければ交渉できない、なんてことはない。
担当者同士、初めて顔をあわせる瞬間がある。
その瞬間に、相手がおやっ、と思うだけ。
5分も話をすれば、相手はそれを気にしたりはしない。
大事なのは、仕事の話。商品の話なのだ。

ある部署に配属が決まり、最初に自己紹介したときもそうだった。
初めて見た人は、おやっ、っと思っただろう。
しかし、それだけである。
あとは、人として、普通にコミュニケーションをとるだけ。
不自由はない。
あえて言えば、すぐに顔を覚えられてしまう傾向がある。
良くも悪くも、である。
それだけだ。

全身脱毛症でも、普通の人と変わらない。
立派な社会人として扱われる。
あとは、実力次第だ。

結婚

社会人3年目の28歳。
僕は、同じ年齢の女の子と結婚した。

彼女と出会ったきっかけは、友達の紹介。
婚活に励んでいたから、そのなかの一つのルートでしかなかったが、
最初に会ったときから話が合った。
とんとんと距離が縮まった。
そして、お付き合いを始める。
さらに、付き合ってから半年もたたないうちに僕からプロポーズ。
結婚することが決まった。

神社にて結婚式をした。
家族や友人に祝福してもらった。
相手のご両親にも、気に入ってもらうことができた。
今は、結婚して仲良く暮らしている。
ときどき夫婦喧嘩もする。
それでも、相手を思いやりながら、生活を続けている。

結婚は難しいかもしれない。
それは、昔からずっと思っていた。
全身脱毛症だと、嫌がられるかも。
彼女がよくても、ご両親が反対するかも。
不安ばかりが募っていた。
しかし、僕の場合、幸運にも特に障害もなく、結婚することができた。
外見がすべてじゃない。
見てくれる人は、見てくれるんだ、と感じている。
これからも妻を大切にしていこう。
その気持ちだけは、一生忘れない。

全身脱毛症になって、もう20年を超えた。
どれだけ治療をして、どれだけ不安になったところで、症状は何も変わなかった。
ただ、大人になるまでに、自分がいろいろ変わっていくことができた。
これは、とても幸運だったと思う。
家族、友人、自分に関係があったすべての方々に対して、感謝の気持ちでいっぱいである。

今は、仕事と結婚生活を頑張っている。
何も問題がないとはいえないが、それなりに満足いく生活ができている。
そろそろ子供がほしい。
そんな話を妻としている。
子供を作り、健康に育てることが、僕の人生の終着点。
最近は、そんな気持ちをもっている。

全身脱毛症という病気は辛い。
本当に辛い。
だから、ぼくはこの病気のことが心底憎い。
僕を傷つけ、家族を傷つけた。
でも、何とかやってきた。
これも家族や友人の支えがあったからだと思う。
これらの支えは、目には見えない。
ただ、それを感じている。
今も、きっとこれからも。
ずっと。

とても感謝してる。

子供が産まれました

子供が産まれました。
体重2300グラムの小さい身体。
けれども、大きな鳴き声で注目を集める元気な子。
僕は子供が大好きなので、この日がくることを本当に楽しみにしていました。
無事に産まれてきてくれてよかった。
妻に感謝したい。
僕も、妻も、家族も、みんなで大喜びしています。

子供は髪の毛が生えていた。
産まれたばかりだというのに、ふさふさしていた。
実は少しだけ心配だった。
全身脱毛症が遺伝してしまい、産まれたときから髪の毛がなかったらどうしようか、と。
でも、大丈夫だった。
心の底からほっとした。
こういう気持ちになるのは、全身脱毛症の人しか分からないんだろうなと思う。

今後、子供も成長していく。
僕が全身脱毛症になった年齢までは、あとたったの6年。
きっと、あっという間のことだろう。
子供には同じことが起きないでほしいと、強く思っている。
何事もなく、ふつうに育ってくれたらと思う。
でも、何が起こるか分からない。
世の中には、つらい病気は、全身脱毛症だけでなく、たくさんある。
子供がもしも辛いことがあっても、強く生きてほしいと思う。

子供はかわいい。
これからの人生に、新たな希望が見えた気がした。
(2014.4.19)